観光map700

歴史を学ぶ

 

 

31-龍野城MAPへ
鶏籠山(けいろうさん)の山城と山麓の平山城とのニ期に分かれます。
山城は約500年前赤松村秀(あかまつむらひで)によって築かれ、現在の平山城は寛文(かんぶん)12年に信州飯田から脇坂安政公(わきざかやすまさこう)が移って築城したとされています。
心のふるさと龍野の象徴として、本丸御殿(ほんまるごてん)、白亜(はくあ)の城壁、多聞櫓(たもんやぐら)、埋門(うづみもん)、隅櫓(すみやぐら)などを復元。

 

32-如来寺付近MAPへ
寺院、浦川(うらかわ)、醤油蔵(しょうゆぐら)などがあり、城下町龍野の情緒が残っています。
如来寺境内(にょらいじけいだい)には、露風の歌碑(かひ)と筆塚(ふでづか)があります。

 

33-野見宿禰神社MAPへ
相撲の元祖、野見宿禰(のみのすくね)が故郷の出雲(いずも)に帰る途中この地で病死し、出雲から多くの人々が来て川からリレー式に石を運び墓を築いたとされています。
「野に立つ人」「立野」が、いつしか「龍野」になったそうです。

 

34-武家屋敷跡MAPへ
旧脇坂屋敷(わきさかやしき)付近には白壁の土塀があり、静かな落ち着いた「城下町龍野」のイメージが今も残っています。

 

35-聚遠亭(しゅうえんてい)MAPへ
その昔、松平定信(まつだいらさだのぶ)が来遊したとき、ここからの眺望絶佳をたたえて「聚遠の門(しゅうえんのもん)」と呼んでから聚遠亭と名づけられました。
心字池(しんじいけ)の上にある茶室は、庭園、池、杉垣根などと調和した書院造りを模した数奇屋風(すきやふう)の建築です。

 

36養久山古墳墓群(やくやまこふんぼぐん)MAPへ
弥生時代から古墳時代初頭(3世紀末~4世紀初)にかかる墳丘墓(ふんきゅうぼ)や古墳が40数基確認されている古墳群です。
弥生時代の墳丘墓(ふんきゅうぼ)が古墳として発達する過程を知ることができる重要な遺跡として考古学上注目を集めてきました。
写真1号墳は、全長32mの前方後円墳で、四獣鏡や鉄剣などが出土しており、県指定文化財になっています。

 

37宝積禅寺(ほうしゃくぜんじ)MAPへ
奈良時代の天平(てんぴょう)年間に行基菩薩(ぎょうきぼさつ)が開基したといわれています。本尊の十-面観世音菩薩は、樟(くすのき)の一本造りで行基作と伝えられています。
また山門前の放生池(ほうしょういけ)にかけられた石橋は江戸時代前期に造られたものと思われ、大変貴重なものです。

 

38姥塚古墳MAPへ
馬立(うまだて)の山麓には、大小約40基の横穴式石室古墳があります。
なかでも姥塚古墳(うばづかこふん)はきゅうりゅう型の珍しいもので、この形式の古墳は百済(くだら)(韓国)様式のものといわれています。

 

39新宮宮内遺跡MAPへ
新宮町新宮・宮内(みやうち)に位置する新宮宮内遺跡(しんぐうみやうちいせき)は、県下を代表する弥生時代の集落遺跡として昭和57年に国史跡の指定を受けています。
大規模な溝や弥生時代中期における国内最大級の円形周溝墓(直径約20m)の一部を確認しました。
円形周溝墓のほぼ全容を明らかにするとともに、円形周溝墓周辺の調査も行い、たくさんの住居跡(円形・方形)や溝で区画された多数の土壙墓を発見しました。
土壙墓の中には石鏃(せきぞく)が19本も打ち込まれて亡くなった「弥生戦士の墓」もあり、墓壙内より出土した石鏃(せきぞく)数としては県下最多となります。
また、謎の遺物である分銅形土製品が21点出土し、県下では最多の出土数となります。

 

40觜崎磨崖仏(はしさきまがいぶつ)MAPへ
鶴嘴山(つるはしやま)の断崖(だんがい)に彫られた地蔵菩薩像で、昔から「いぼ神さん」と敬われています。
南北朝時代の作(文和2<1353>年銘)で、銘のあるものとしては、西播磨では最古のものとなる優れた石仏です。

 

41越部禅尼の墓(こしべぜんにのはか)MAPへ
平安時代歌人として有名な藤原俊成の孫女にあたる俊成卿女が夫と死別して出家剃髪し俊成の荘園であった越部市野保に隠棲し、この地で亡くなりました。その墓と伝えられてる「てんかさん」と呼ばれる祠内には、現在阿弥陀如来の石仏が1体安置されています。

 

42浄運寺MAPへ
浄土宗、本尊(ほんぞん)は阿弥陀如来像、山号を清凉山といい、法然上人ご霊場の一つ。
承元(じょうげん)元年(1207年)上人が室津から讃岐(さぬき)へ渡る際、舟で漕ぎ出した友君木曽義仲の夫人山吹御前という遊女が上人の説法を聞き得度し、念仏往生を遂げたと伝えられ、門前には友君の墓があります。
また、法然上人像(ほうねんしょうにんぞう)、近松作(ちかまつさく)の恋物語「お夏清十郎(なつせいじゅうろう)」のお夏像(なつぞう)でも知られています。

 

43賀茂神社MAPへ
約800年前、平清盛(たいらのきよもり)が厳島詣(いつくしまもうで)での折、この地に立ち寄り、神前に祈願した際、古びた5・6棟の社殿が立ち並んでいたと「高倉院厳島御幸記(たかくらいんいつくしまごこうき)」に記されています。
この社は港に突き出た岬の丘にあり、周囲はうっそうとした森につつまれています。参道には県指定天然記念物のそてつの群生があります。
5つの社殿とそれを囲む回廊、それに唐門は京都・上賀茂神社と同じ五社造りで、昭和44年に国指定重要文化財となっています。